2009年09月13日
せんせい、あのね。
こちら、豪雨ベトナムからお送りいたします。
日中は鉄板の上で焼かれるような強すぎる!日差しであったにも関わらず、
今は一転して豪雨。
スコールです。
そんな気まぐれな天気がベトナムを感じさせますね。
照りつける日の下で、大人がへばりそうになるのを尻目に子ども達は今日も元気!!
「髪の毛がフライパンのように熱くなっているよ~」
と、ケラケラ笑いながらボールを追いかけ回っています。
そうです、彼らは無敵なのです。
そんな子ども達を見て、コーチは、もう若くない体を奮い起こすのであります。
がんばれ、俺。
さて、先日の日記ですこーしだけ触れましたが、2学期から「先生」してます。
補習校という、インターナショナルスクールやベトナムの現地校に通う子ども達のために、
日本語で学習する場を与える日本的学力の補足的な学校です。
そこで、小学校一年生に「国語」を教えています。
要するに、またまた“我が子”が増えてしまったというわけです。
嬉しいこと、この上ありません。
小学校一年生と言えば、、、そうです。
「動物」とも「宇宙人」とも形容される非常に活発な子ども達です。
自分のエネルギーを自分の中に留めておけないみなぎるパワーの持ち主たちです。
うちの洗面所のパイプから滴り落ちる水漏れの比になりません。
もはや垂れ流しです。笑
そんな子ども達に、学生時代、松野の最も苦手としていた「国語」を教えることになるとは
思ってもみませんでした。
しかも、このベトナムの地でね。
みなさん、小学校一年生の頃に何を勉強していましたか?
とおーーい記憶を呼び起こしてみましょう。
ほらほら、何かが聞こえてくるよ。
みみを あてたら きこえたよ。(「おむすび ころりん」風に)
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
それでも、かぶは ぬけません。
まごは 犬を よんできました。
かぶを おじいさんが ひっぱって、
おじいさんを おばあさんが ひっぱって、
おばあさんが まごを ひっぱって、
まごを 犬が ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
まだまだ かぶは ぬけません。
不朽の名作、「大きなかぶ」です。

自分のあの頃を思い出しました。
狭い教室で劇なんかしちゃったような気もします。
やさしい、やさしい、まつのせんせいは、
一人6役をこなしながらみんなに読み聞かせてあげるわけです。
「とうとう、かぶは ぬけました。」の後には、もう、拍手喝采ですよ。笑
読み聞かせをしながら気づいたことは、日本語の生み出すリズムってすごく美しい。
ってこと。
特に、小学校一年生の「国語」の教科書って、
リズムとか流れるような語調を重視して作られてるから、
その文章が織り成す世界が美しいこと。
数年前に『声に出して読みたい 日本語』がベストセラーになりましたが、
お子さんのいるご家庭や、奇跡的にうちに教科書が残っている!!という人は、
ぜひ小学生の教科書を音読してみてください。
その日本語的な美しさに引き込まれること、間違いなし!
生徒たちには音読カードを作って、宿題として音読を家庭学習させていますが、
宿題を手伝う、お母様方!!
めんどくさいと思わずに自分が楽しむつもりで付き合ってあげてください。
案外、自分がハマっちゃうかもしれませんよ。笑
もう一つは、子どもの無限の想像力。
よく子どもは、何度も何度も、同じ絵本を「よんで~」と迫ってきますよね。
僕たち大人が読んでも、一つの文章から描かれる世界は一つかもしれないけど、
彼らにとっては、一回、一回、頭に思い浮かべられる世界は違うのだと思います。
いわば、一人ひとりの「ワールド」です。
だから、飽きないんです。
これって子どもの才能ですよね。
特権ですよね。
私たちは、いつからそんなに想像力が乏しくなってしまったのでしょうか。。
歳をとるにつれて増えていくものと、失われていくもの。
知らず知らずに失われているものって実は、とても尊いものなのかもしれませんね。
読み聞かせをしながら、教卓から眺める彼ら一人ひとりの表情は、
まつのせんせいにとって至福のひと時でした。
そしてそして、もう一つ。
今日は長いですよー。
もう少しだけお付き合い願います。
気づいた人もいるかもしれませんが、「国語」にあえて括弧付けをしました。
なぜかというと、
この補習校の最大の特徴でもあると思うのですが、
中には「日本語」が「国語」でない子もいるのです。
あんまり極端に書くと“差別”とか言われてしまいそうなので慎重になってしまいますが、
僕はこのことをすごく素敵なことだと思っています。
両親とも日本人の子がいれば、一方は日本人で、
もう一方はベトナム人とか、アメリカ人とか、ヨーロッパ系の人とか本当に各家庭の状況は様々です。
そんな環境の中で、何が「国語」か?なんて問いは、愚問のような気がします。
もちろん、日本人向けの補習校なので形は「国語」になっていますが、
そんなの関係ねぇーってね。(あれ?死語ですか?笑)
こちらで生活するようになって思うことは国籍とか人種とかって、
そんなに関係ないんじゃないかなって思います。
もちろん、語弊がないように付け加えておきますが、
それぞれの文化の特徴とか気質とか素晴らしい部分はたくさんあるし、
それらを一緒くたにしてしまうことはとても危険なことです。
ですが、「人」と「人」とが付き合う上で、国が違うからとかって
特に意識する必要なんてないんじゃないでしょうか。
「外人」って表現、あまり好きではありません。
日本って島国ってこともあって「外」と「内」を無意識にも、
常に意識して生活してきた国だと思うんです。
そういう国に生まれて生きてきて、
無意識に自分の中にも見えない「壁」みたいなものを作っていたのかもって思うときがあります。
日本人って外国人と接するときすごい身構えますよね。
そういうことです。
物事には必ず例外が伴うので、ブログを書くときはいつも慎重になるのですが、
あくまで世間知らずの未熟者が一個人の意見として話すことなので多めに見てやってください。
日本人の中にもそういう人でないもたくさんいるし、
日本以外の人でもそうである人もたくさんいると思います。
なので、すべてを一概には言えませんが、
僕たちは「日本人」でありながら「世界人」なんですよね。
歴史の中で日本が「島国」であることって
結構、重要な意味を持ってたんじゃないかなって思ったりします。
すみません、ついつい長くなりました。
ブログ読んで気づいたことがあれば、どんどんコメントください。
批判でも、おちゃらけな意見でも、何でも。
一つ一つのコメントが励みになりますし、
自分の価値観をみがく研磨剤になってくれると確信しています。
ということで、
昨日生まれて初めて「韓国人」に見えると言われ、
〝VIETNAMESE AMERICAN〝の方に
〝JAPANESE KOREAN〝と命名された松野が
ベトナムよりお送りいたしました。
知らぬ間に雨も止んでいます。
では。
と、思ったらまた降り出しました。
日中は鉄板の上で焼かれるような強すぎる!日差しであったにも関わらず、
今は一転して豪雨。
スコールです。
そんな気まぐれな天気がベトナムを感じさせますね。
照りつける日の下で、大人がへばりそうになるのを尻目に子ども達は今日も元気!!
「髪の毛がフライパンのように熱くなっているよ~」
と、ケラケラ笑いながらボールを追いかけ回っています。
そうです、彼らは無敵なのです。
そんな子ども達を見て、コーチは、もう若くない体を奮い起こすのであります。
がんばれ、俺。
さて、先日の日記ですこーしだけ触れましたが、2学期から「先生」してます。
補習校という、インターナショナルスクールやベトナムの現地校に通う子ども達のために、
日本語で学習する場を与える日本的学力の補足的な学校です。
そこで、小学校一年生に「国語」を教えています。
要するに、またまた“我が子”が増えてしまったというわけです。
嬉しいこと、この上ありません。
小学校一年生と言えば、、、そうです。
「動物」とも「宇宙人」とも形容される非常に活発な子ども達です。
自分のエネルギーを自分の中に留めておけないみなぎるパワーの持ち主たちです。
うちの洗面所のパイプから滴り落ちる水漏れの比になりません。
もはや垂れ流しです。笑
そんな子ども達に、学生時代、松野の最も苦手としていた「国語」を教えることになるとは
思ってもみませんでした。
しかも、このベトナムの地でね。
みなさん、小学校一年生の頃に何を勉強していましたか?
とおーーい記憶を呼び起こしてみましょう。
ほらほら、何かが聞こえてくるよ。
みみを あてたら きこえたよ。(「おむすび ころりん」風に)
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
それでも、かぶは ぬけません。
まごは 犬を よんできました。
かぶを おじいさんが ひっぱって、
おじいさんを おばあさんが ひっぱって、
おばあさんが まごを ひっぱって、
まごを 犬が ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
まだまだ かぶは ぬけません。
不朽の名作、「大きなかぶ」です。
自分のあの頃を思い出しました。
狭い教室で劇なんかしちゃったような気もします。
やさしい、やさしい、まつのせんせいは、
一人6役をこなしながらみんなに読み聞かせてあげるわけです。
「とうとう、かぶは ぬけました。」の後には、もう、拍手喝采ですよ。笑
読み聞かせをしながら気づいたことは、日本語の生み出すリズムってすごく美しい。
ってこと。
特に、小学校一年生の「国語」の教科書って、
リズムとか流れるような語調を重視して作られてるから、
その文章が織り成す世界が美しいこと。
数年前に『声に出して読みたい 日本語』がベストセラーになりましたが、
お子さんのいるご家庭や、奇跡的にうちに教科書が残っている!!という人は、
ぜひ小学生の教科書を音読してみてください。
その日本語的な美しさに引き込まれること、間違いなし!
生徒たちには音読カードを作って、宿題として音読を家庭学習させていますが、
宿題を手伝う、お母様方!!
めんどくさいと思わずに自分が楽しむつもりで付き合ってあげてください。
案外、自分がハマっちゃうかもしれませんよ。笑
もう一つは、子どもの無限の想像力。
よく子どもは、何度も何度も、同じ絵本を「よんで~」と迫ってきますよね。
僕たち大人が読んでも、一つの文章から描かれる世界は一つかもしれないけど、
彼らにとっては、一回、一回、頭に思い浮かべられる世界は違うのだと思います。
いわば、一人ひとりの「ワールド」です。
だから、飽きないんです。
これって子どもの才能ですよね。
特権ですよね。
私たちは、いつからそんなに想像力が乏しくなってしまったのでしょうか。。
歳をとるにつれて増えていくものと、失われていくもの。
知らず知らずに失われているものって実は、とても尊いものなのかもしれませんね。
読み聞かせをしながら、教卓から眺める彼ら一人ひとりの表情は、
まつのせんせいにとって至福のひと時でした。
そしてそして、もう一つ。
今日は長いですよー。
もう少しだけお付き合い願います。
気づいた人もいるかもしれませんが、「国語」にあえて括弧付けをしました。
なぜかというと、
この補習校の最大の特徴でもあると思うのですが、
中には「日本語」が「国語」でない子もいるのです。
あんまり極端に書くと“差別”とか言われてしまいそうなので慎重になってしまいますが、
僕はこのことをすごく素敵なことだと思っています。
両親とも日本人の子がいれば、一方は日本人で、
もう一方はベトナム人とか、アメリカ人とか、ヨーロッパ系の人とか本当に各家庭の状況は様々です。
そんな環境の中で、何が「国語」か?なんて問いは、愚問のような気がします。
もちろん、日本人向けの補習校なので形は「国語」になっていますが、
そんなの関係ねぇーってね。(あれ?死語ですか?笑)
こちらで生活するようになって思うことは国籍とか人種とかって、
そんなに関係ないんじゃないかなって思います。
もちろん、語弊がないように付け加えておきますが、
それぞれの文化の特徴とか気質とか素晴らしい部分はたくさんあるし、
それらを一緒くたにしてしまうことはとても危険なことです。
ですが、「人」と「人」とが付き合う上で、国が違うからとかって
特に意識する必要なんてないんじゃないでしょうか。
「外人」って表現、あまり好きではありません。
日本って島国ってこともあって「外」と「内」を無意識にも、
常に意識して生活してきた国だと思うんです。
そういう国に生まれて生きてきて、
無意識に自分の中にも見えない「壁」みたいなものを作っていたのかもって思うときがあります。
日本人って外国人と接するときすごい身構えますよね。
そういうことです。
物事には必ず例外が伴うので、ブログを書くときはいつも慎重になるのですが、
あくまで世間知らずの未熟者が一個人の意見として話すことなので多めに見てやってください。
日本人の中にもそういう人でないもたくさんいるし、
日本以外の人でもそうである人もたくさんいると思います。
なので、すべてを一概には言えませんが、
僕たちは「日本人」でありながら「世界人」なんですよね。
歴史の中で日本が「島国」であることって
結構、重要な意味を持ってたんじゃないかなって思ったりします。
すみません、ついつい長くなりました。
ブログ読んで気づいたことがあれば、どんどんコメントください。
批判でも、おちゃらけな意見でも、何でも。
一つ一つのコメントが励みになりますし、
自分の価値観をみがく研磨剤になってくれると確信しています。
ということで、
昨日生まれて初めて「韓国人」に見えると言われ、
〝VIETNAMESE AMERICAN〝の方に
〝JAPANESE KOREAN〝と命名された松野が
ベトナムよりお送りいたしました。
知らぬ間に雨も止んでいます。
では。
と、思ったらまた降り出しました。