2010年12月25日
クリスマスに何おもふ
メリークリスマス!!
みなさん、聖なる夜をいかがお過ごしでしょうか?
久しぶりの日記更新ですが、そんな私からみなさんにクリスマスプレゼントを☆
ついさっき読んだばかりのアツアツの「いい話」をどうぞ。
自分の心が愛と平和に満たされるこんな日だからこそ、
自分以外の世界に目を向けてみてはいかがでしょうか。
-------------------------
みなさん、「ロベルト・クレメンテ賞」って知ってますか?
今日はその「ロベルト・クレメンテ」さんのお話です。
「ロベルト・クレメンテ賞」は、地域活動を通して社会貢献した選手に贈られる賞です。
大リーグではMVP(最優秀選手賞)やサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)以上に栄誉ある賞とも言われています。
プエルトリコ出身のロベルト・クレメンテは、「カリブの星」と呼ばれ、
現在大リーガーの約3割を占める中南米選手の先駆けとなった黒人選手でした。
1955年から’72年までの18年間、ピッツバーグ・パイレーツ一筋でプレー。
首位打者4回、MVP1回、オールスター12回出場、通算3000本安打、240本塁打など数々の記録を残しました。
右翼手としても「ライフル・アーム」といわれた強肩で、ゴールドグラブ賞12年連続受賞。
この記録は今でも外野手の最多記録として残っています。
その大リーグ史に残る名選手が、時代を超えて尊敬される「伝説の英雄」になったのは、
1972年の大みそかでした・・・
12月23日、ニカラグアの首都マナグアでマグニチュード6.2の大地震が起きた。以前から出身地のボランティア活動に取り組んでいたクレメンテの行動は素早かった。翌24日には母国プエルトリコと米国でチャリティーを呼び掛け、集まった救援物資や医薬品を船で被災地に輸送した。ところが、送ったはずの積み荷は、被災者のもとにきちんと届いていなかった。一部の政府高官や軍によって横流しされ、闇市で売りさばかれていたのだ。事実を知ったクレメンテは、自らの手で救援物資を現地に届けることを決意した。
チームメイトが家族とともに、お祭り気分で新年を迎えようとしていた、12月31日、クレメンテはプエルトリコの首都サンファンの空港から自らチャーターした飛行機で、被災地へ飛び立った。しかし、積み荷制限をはるかに超える救援物資と医療器具を満載したプロペラ機は、離陸直後に傾き、そのままカリブ海に墜落した。荷崩れを起こした飛行機がバランスを崩したことが原因といわれている。数日間に及ぶ捜索で見つかったのはパイロットの遺体だけだった。
クレメンテの悲劇的な、そして崇高な最期は、国境や人種を越えて人びとの心を動かした。翌’73年、当時のニクソン米大統領は、クレメンテの遺志をくみ、恵まれない子供たちへの財団設立を呼びかけた。同3月には、原則として引退後5年経過しなければ認められない殿堂入りが圧倒的多数で決まった。パイレーツは同4月6日の開幕戦を追悼試合とし、クレメンテの背番号21を永久欠番とした。そして、大リーグ機構は社会貢献活動に尽力した選手を表彰していた「コミッショナー賞」の名称を、「ロベルト・クレメンテ賞」に改めた。
これを機に、メジャーリーガーたちに社会貢献活動への意識が一気に高まった。「ロベルト・クレメンテ賞」は、選手たちにとって「崇高な精神」の証として、MVP以上の大きな目標になった。
死後40年近く経った現在も、クレメンテの精神は光を失うことなく、時代を超えて受け継がれている。
近年、日本のプロ野球選手の間でも、社会貢献活動への機運が高まっている。’99年に「ロベルト・クレメンテ賞」の日本版「ゴールデンスピリット賞」が創設された。第1回は少年のいじめ防止キャンペーンに尽力した松井秀喜が受賞した。
’06年にパイレーツに移籍した桑田真澄はチームを選んだ理由についてこう話した。「重要だったのは、昔から自分の中で大切にしている選手(クレメンテ)がプレーしていた球団だし、そこにすごく引かれた」。カリブ海に沈んだクレメンテの精神は、太平洋を超えて世界中に広がっている。
「もし物事をよくする機会があるのに、それをしなかったら、人生を無駄にしていることになる」
――ロベルト・クレメンテ

以上、『スポーツゴジラ』第14号「スポーツと社会貢献」より抜粋
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝う日だといわれますが、
まさにそのイエス・キリストのような精神をもって実践していた人が、
38年前のクリスマスにも、いたんです。
近頃では「社会貢献」という言葉をよく聞きますが、
クレメンテのように実際に行動に移せる人がどれほどいるでしょうか。
自分も例外ではありません。
口で言うのは簡単だけれども、行うのは難し。
クレメンテをみならって行動します!!
「行動」は無から有を創造する。
「言葉」は行動するまでは形のない存在だ。
話したことを行動すれば、言葉はその時はじめて形を持ち、生きた存在になる。
『有言実行』
2011年のテーマにしよう。
みなさん、聖なる夜をいかがお過ごしでしょうか?
久しぶりの日記更新ですが、そんな私からみなさんにクリスマスプレゼントを☆
ついさっき読んだばかりのアツアツの「いい話」をどうぞ。
自分の心が愛と平和に満たされるこんな日だからこそ、
自分以外の世界に目を向けてみてはいかがでしょうか。
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みなさん、「ロベルト・クレメンテ賞」って知ってますか?
今日はその「ロベルト・クレメンテ」さんのお話です。
「ロベルト・クレメンテ賞」は、地域活動を通して社会貢献した選手に贈られる賞です。
大リーグではMVP(最優秀選手賞)やサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)以上に栄誉ある賞とも言われています。
プエルトリコ出身のロベルト・クレメンテは、「カリブの星」と呼ばれ、
現在大リーガーの約3割を占める中南米選手の先駆けとなった黒人選手でした。
1955年から’72年までの18年間、ピッツバーグ・パイレーツ一筋でプレー。
首位打者4回、MVP1回、オールスター12回出場、通算3000本安打、240本塁打など数々の記録を残しました。
右翼手としても「ライフル・アーム」といわれた強肩で、ゴールドグラブ賞12年連続受賞。
この記録は今でも外野手の最多記録として残っています。
その大リーグ史に残る名選手が、時代を超えて尊敬される「伝説の英雄」になったのは、
1972年の大みそかでした・・・
12月23日、ニカラグアの首都マナグアでマグニチュード6.2の大地震が起きた。以前から出身地のボランティア活動に取り組んでいたクレメンテの行動は素早かった。翌24日には母国プエルトリコと米国でチャリティーを呼び掛け、集まった救援物資や医薬品を船で被災地に輸送した。ところが、送ったはずの積み荷は、被災者のもとにきちんと届いていなかった。一部の政府高官や軍によって横流しされ、闇市で売りさばかれていたのだ。事実を知ったクレメンテは、自らの手で救援物資を現地に届けることを決意した。
チームメイトが家族とともに、お祭り気分で新年を迎えようとしていた、12月31日、クレメンテはプエルトリコの首都サンファンの空港から自らチャーターした飛行機で、被災地へ飛び立った。しかし、積み荷制限をはるかに超える救援物資と医療器具を満載したプロペラ機は、離陸直後に傾き、そのままカリブ海に墜落した。荷崩れを起こした飛行機がバランスを崩したことが原因といわれている。数日間に及ぶ捜索で見つかったのはパイロットの遺体だけだった。
クレメンテの悲劇的な、そして崇高な最期は、国境や人種を越えて人びとの心を動かした。翌’73年、当時のニクソン米大統領は、クレメンテの遺志をくみ、恵まれない子供たちへの財団設立を呼びかけた。同3月には、原則として引退後5年経過しなければ認められない殿堂入りが圧倒的多数で決まった。パイレーツは同4月6日の開幕戦を追悼試合とし、クレメンテの背番号21を永久欠番とした。そして、大リーグ機構は社会貢献活動に尽力した選手を表彰していた「コミッショナー賞」の名称を、「ロベルト・クレメンテ賞」に改めた。
これを機に、メジャーリーガーたちに社会貢献活動への意識が一気に高まった。「ロベルト・クレメンテ賞」は、選手たちにとって「崇高な精神」の証として、MVP以上の大きな目標になった。
死後40年近く経った現在も、クレメンテの精神は光を失うことなく、時代を超えて受け継がれている。
近年、日本のプロ野球選手の間でも、社会貢献活動への機運が高まっている。’99年に「ロベルト・クレメンテ賞」の日本版「ゴールデンスピリット賞」が創設された。第1回は少年のいじめ防止キャンペーンに尽力した松井秀喜が受賞した。
’06年にパイレーツに移籍した桑田真澄はチームを選んだ理由についてこう話した。「重要だったのは、昔から自分の中で大切にしている選手(クレメンテ)がプレーしていた球団だし、そこにすごく引かれた」。カリブ海に沈んだクレメンテの精神は、太平洋を超えて世界中に広がっている。
「もし物事をよくする機会があるのに、それをしなかったら、人生を無駄にしていることになる」
――ロベルト・クレメンテ

以上、『スポーツゴジラ』第14号「スポーツと社会貢献」より抜粋
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝う日だといわれますが、
まさにそのイエス・キリストのような精神をもって実践していた人が、
38年前のクリスマスにも、いたんです。
近頃では「社会貢献」という言葉をよく聞きますが、
クレメンテのように実際に行動に移せる人がどれほどいるでしょうか。
自分も例外ではありません。
口で言うのは簡単だけれども、行うのは難し。
クレメンテをみならって行動します!!
「行動」は無から有を創造する。
「言葉」は行動するまでは形のない存在だ。
話したことを行動すれば、言葉はその時はじめて形を持ち、生きた存在になる。
『有言実行』
2011年のテーマにしよう。