2010年02月25日
一万円の人
“天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ”
かの有名な福沢諭吉『学問のすゝめ』の名だたる一節ですね。
しかし、文字通り解釈していた無知なまっつは、
世界を見て、
「全然そんなことないじゃん!」
と、憤りすら感じていました。
・・・が、
これ、実は続きがあったんですね。
恥ずかしながら、今日知りました。。
天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らずと言われている、、、
人は生まれながら貴賎上下の差別ない。
けれども今広くこの人間の世界を見渡すと、
賢い人愚かな人、貧乏な人金持ちの人、
身分の高い人低い人とある。
その違いは何だろう?
それは甚だ明らかだ。
賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。
人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど
ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり
無学なる者は貧人となり下人となるのだ。
「言われている」とあるように、実は冒頭の節は彼自身の言葉ではないんですね。
アメリカ合衆国の独立宣言から引用したものだそうです。
とはいえ、それに続く論が素晴らしい。
まだ武士なる人がいたであろう
そして街にはやっと電燈が灯りはじめたこの時代に
これだけの教えを説く彼は、さすが「一万円の人」です。
そしてまた、この論は今の時代にも当てはまります。
今の人間世界を見渡してみると、、
貧困、格差、階級、身分、差別、
「平等」とは言いがたい世界が広がっています。
日本も然り、世界ならばなおさら。
そして、その差を決定付けているものは、
やはり「学問」、すなわち「教育」だと思うのです。
グローバルな視点では、
経済も教育制度も整った先進諸国が
東南アジア、アフリカ、中南米、、、
無知で無学な貧しい人々を喰い物にしている。
言葉は悪いですが、そうだと思うのです。
それが世界の現実だと思うし、
また、それなくして現在の世界経済が成り立たないことも事実です。
空しいですね。。
この現実を変えるには、
おそらく世界の経済システムそのものを変えるしかないでしょう。
しかし、それは非常に難しい。
あー、、ここが小生の、答えの出ない近頃の葛藤であります。
そんなことできますかいな?
誰か教えてください。
その辺の議論はさておき、
まっつが心を痛めているのは、
教育を受けられない環境があるということ。
学校にいって授業を受けること
それは当たり前ではありません。
世の中には、「ストリートチルドレン」と言われる
路上で暮らす(しかない)子どもたちがいます。
「債務労働」と言って
生まれながらにして、親の負ったその債務を
自身の生涯をもって払う子どもたちがいます。
我が親によって売り飛ばされる子どもたちがいます。
彼らには教育を受ける権利がないのでしょうか。
一見すると、英語も日本語も使いこなす物売りの子どもたちは
学があるように思われますが、
しかし、その日暮らしの薄っぺらな学に過ぎません。
なんせ学校にも通わず、日々のコミュニケーションから身につけた付け焼刃ですから。
もちろん、そうした生きる知恵を否定するつもりはありませんが、
でも、そうすることでしか生きられない現状には苦悶させられます。
今回の旅では、お金の代わりに
わずかながらの文房具と飴玉をもって回りました。
それが何になるのか、、、わからない。
でも、そうした子どもたちを目の前にして
何もせずにはいられなかった。
人間が作り上げてしまったそのシステムは、
人間自らの手で変えるしかない。
全世界が平和になることは可能なのか?
カンボジアの旅でKと語り合った大きな課題です。