2009年05月22日

素敵な話☆

今日も早起きして朝のホーチミンを散歩。

朝食にパンと豆乳を買って、その後いつもの「散策ジョギング」。笑

晴れ渡った青空の下、走るのはやはり気持ちいい!!


公園で全力疾走中、ふと脇を見ると花壇いっぱいに咲き誇る花々。

素敵な話☆

癒されますね。

疲れも吹っ飛びます。


そんな道端に咲く花にまつわる素敵な話を発見したのでご紹介します。




【小さな物語】(作者不明 菅原裕子訳)


インドのある水くみ人足は、2つの壷を持っていました。

天秤棒のはしに、それぞれのツボをさげ、首のうしろで
天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。

その壷の一つには、ひびが入っています。

もう一つの完璧な壷が、小川からご主人さまの家まで
一滴の水もこぼさないのに、
ひび割れ壷は、人足が水をいっぱい入れてくれても、
ご主人さまの家に着くころには半分になっているのです。


完璧な壷は、いつも自分を誇りに思っていました。

なぜなら、彼が作られたその本来の目的を、彼は常に達成する
ことができたからです。

そして、ひび割れ壷は、いつも自分を恥じていました。

なぜなら、彼は、半分しか達成することができなかったからです。


二年が過ぎ、すっかりみじめになっていたひび割れ壷は、
ある日、川のほとりで水くみ人足に話しかけました。

「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」

「なぜそんな風に思うの?」水くみ人足は言いました。

「なにを恥じてるの?」

「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人さま
の家まで水を半分しか運べなかった。
水がもれてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、
その努力が報われることがない。
私は、それがつらいんだ。」

壷は言いました。

水くみ人足は、ひび割れ壷を気の毒に思い、そして言いました。

「これからご主人さまの家に帰る途中、道端に咲いている
きれいな花を見てごらん。」


天秤棒にぶら下げられて丘を登っていくとき、
ひび割れ壷はお日さまに照らされ美しく咲き誇る道端の花に
気づきました。

花は本当に美しく、壷はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人さまの家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を
恥じて、水くみ人足にあやまりました。

すると、彼は言ったのです。

「道端の花に気づいたかい?
花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?
 
僕は、君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に
花の種をまいたんだ。

そして君は毎日、僕たちが小川から帰るときに水をまいてくれた。

この2年間、僕はご主人さまの食卓に花を欠かしたことがない。

君があるがままの君じゃなかったら、ご主人さまはこの美しさで
家を飾ることはできなかったんだよ。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実は、自分が欠点だと思っているところが、人から
見たらステキなところなのかもしれません。

そんなところが、人を幸せにしています。

自分が知らないうちに。

そして、人はそんなところに気づいていたりします。

そういう風に、自分にも人にも接してあげられたらいいですね。




という素敵なお話でした。

おしまい。








Posted by masaki at 16:33│Comments(4)
この記事へのコメント
俺の妻(菅原裕子)は通訳やってないけど!
Posted by 稜のちち at 2009年05月23日 22:56
母は隠れた才能をお持ちなんですね。
しかも、夫には内緒だったんですね。笑

初コメントありがとうございます!
Posted by masaki at 2009年05月23日 23:27
いい話だね。ここでコーチ陣たちの勉強になることが
あるね。水くみ人足の花の種まきだね。
この種まきに気がつかないと壺も救われないね。
この種まきに気がつくかつかないかがコーチ陣の
資質に関係してくるね。
割れた壺が子供たちとすると人足はコーチ陣で
こぼれる水は子供たちの才能とするとそれをいかに
拾ってあげるかいかに種をまいて花を咲かせられるかだね。
がんばって。
Posted by つくばの父より at 2009年05月25日 09:52
そういう視点のもち方ができるところがさすがですね!!
それこそ素敵な話です。

聞いていて思ったのですが、割れた壺を直そうとすることは
大人(=人足、コーチ陣)の価値観を子ども達に押し付けることになるんでしょうね。
「割れている」ことが悪いのではなく、割れていることで溢れ出る子ども達の才能に気づいて、
彼らの才能が花開くようにそっと種を蒔いてあげられる、そしてあとはそばで温かく見守る(添う)、
そんな指導者でありたいですね。
やりすぎてしまうのではなく、真に彼らのことを考えてじっと「待つ」。

最近、「子どものため」は、本当は「大人のため」ではないのか
という武田さんの言葉がよく浮かびます。
Posted by masaki at 2009年05月25日 10:39
 
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