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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年01月29日

ちょっと見つけたいい話

素敵な話を見つけたんで、


ほっこりした温かい気持ちを


みなさんにもお裾分け。



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トモダチを紹介します。




イマバヤシくんです。


だれって?


イマバヤシくんです。

小学校一年生らしいです。





公園のベンチで空を見上げて寝転がっていたら


ナンパされました(笑)



い「なーなー何してるの?」


ぼく「何もしてへんよー」


い「ひま?」

ぼく「うん、かなりひまやで。」


い「そしたら、ひっつきむしついたからとってくれへん?」


ぼく「ええよーー。」


よく見ると、彼の服にはびっしりとひっつきむしがついていた。

写真よくみて。
ほんまびっしりついてるから(笑)

あの、くっつくとなかなかとれない植物の種ね。


ぼく「あかんやんーめっちゃついてるでーどこでついたん?」


い「ホリエくんの家のちかくに、ひっつきむし地帯があるねん」


ぼく「そこ行ったんやーめっちゃついてるやん。」


い「けどなー見てやーこれ、すごくない?」


と、虫かごをみせてくれた。


その中にはカマキリとバッタが同居していた。


ぼく「すごいー。かっこいいなー。」


い「やろーやろーすごいやろ」


そんな会話をしながらひっつきむしを一緒になってとった。


そういえば、ひっつきむしをとるなんて久しぶり


そんな草が生い茂ったとこに入ることなんて最近ないから


虫かごにはいった虫をみるのも久しぶり


そういえば、ぼくもこんな時代があったなーってしみじみ

お父さんは39歳らしい。

そして門限は6時らしい。

いろいろプライベートなことを教えてくれた(笑)

デジカメをもっていたから海の写真をみせたら


カメにびっくりしてた。






そうこうしていると、イマバヤシ君の友達が近くにきた

イマバヤシくんに僕がだれか聞いてくる。

そしたらイマバヤシくんは、「ともだちやで」と


ボクをそのこたちにふつうに紹介してくれた。


なんかその瞬間、忘れていた何かを思い出した気がした。



そうだ、単純でいいんだ。


難しいことなんていらない


シンプルに、それでいい。





「なーなーボールが木のうえのってとれへんねん、とってくれへん?」

とお願いをされた。


「えーまじでーーーけっこう高いし、これとるの草の中はいらんとあかんやんーーーまぁええけど。」


なんとかボールをとったらサッカーに誘われて少しだけした。


案の定大活躍した(笑)


あーこどもはかわいいなー

このころはまだ、みんな素直なんだろうな。

どうして、成長すると、苦手な人ってできるんだろう。

シンプルにいきたいなって思いました。

すごく学ばせてもらいました。

イマバヤシくん、ありがとう。


----------------------


こどもにふれ合うことが多いんで、よくわかります、この話。





けんかしたとき


辛い思いをさせたとき


相手を傷つけちゃったとき




「ごめんね」





「いいよ」



シンプルに、それでいい。




  


Posted by masaki at 21:22Comments(4)いい話

2010年01月23日

あねご

みなさん、「王様のブランチ」知ってますか?


そう、土曜の「午前」と言えばこの番組。

あ、、我が故郷・静岡では、放送枠の関係で、

午前しか放送されてませんでしたので・・。


関東圏ではもちろん、昼過ぎまで放送してますよね。





で、それがどうした??


って話ですが、、





出演します!!









「誰が?」







俺が!




と、言いたいところですが、


残念ながら違います(涙)








うちのです。



全国ネットにうちの姉が登場します。

あはは。



まー知ってる人は知ってると思いますが、

うちの姉、だーいぶインテリアに凝ってまして。

過去には、数あるインテリア誌に名を連ね、

某インテリア誌では「インテリア大賞」的なものまでもらっちゃってます。

最近では某女性ファッション誌『S●up』にも掲載されてました。



だから、インテリア好きの人には過去にお目に触れたことがあるやもしれません。



そんで、今回、、、

王様のブランチにおける「姫様」こと、はしのえみさんのコーナーに

登場することになっちまったんです。。

(余談ですが、静岡人は「こっこ」のCMで馴染みですよね、はしのえみさん。)



肖像権の関係で、はしのえみさんとの写真はここには載せられませんが、

テレビ放送でその模様をチェックしてみてください。





とまぁ、とにかくすげーんですわ、彼女。


何がすごいって、こうやって雑誌とかテレビで取り上げられちゃうとこもそうですけど、

あくまでそれは結果であって、生き様っていうか、

そういうのが評価された結果なんだろうなって思います。

この人ほど生命力を感じる人はいません!笑

弟の俺が、公のブログでここまで言っちゃう時点であり得ないでしょ。




あ、これ言っとかなきゃ・・・


※みなさん、松野はシスコンではありませんよー!!(笑)



でも、こうして尊敬できる姉兄がいるのって幸せなことですよね。

実は、松野には兄もいまして、(ちなみに彼もインテリア凝ってる。)

二人とも、本業も趣味も、我が道を進んでてかっこいいんです!

彼もなんかやらかしたら、載せようと思います。




ってことで、今日は最近の話題と180°反れましたが、

(たまにはこんなのもいいよね?)



明日(日本では、もう今日か・・)土曜の「王様のブランチ」

時間ある人は見てくださーい。

出演時間はおそらく13時以降、5~7分くらいのコーナーらしい。

よって、必然的に、、

静岡人見れませーん。笑

どんまい、静岡。



姉もこのブログ見てるんで、感想とかアドバイス(?)とかあったら

コメントしてあげてください。



では。  


Posted by masaki at 00:36Comments(14)Private

2010年01月21日

カリブの海の子どもたち

mixiコミュニティー『世界の肖像』からの転載です。

この記事がハイチを、世界を、考える手助けになれば幸いです。


-----------------

カリブ海に浮かぶ島、イスパニョーラ島。
その島の西にハイチという国がある。

1804年1月1日、
植民地占領をしていたフランス人を追い出し、
世界で始めての黒人による共和国、
そして、ラテン・アメリカ最初の独立国家を樹立した。

そんなハイチの首都ポルトープランスに住む、
ジネッテ(Jeanette)ちゃんという女の子を
イギリスのBBCが記事に取り上げている。


ジネッテちゃんの日課は、
家のための水くみで始まる。

公共の水汲み場で、
青いバケツに水をたっぷり入れて頭に載せ、
毎日4キロを歩く。

ジネッテちゃんは、6歳だ。


ハイチは、
アメリカ大陸とその島々の中で、
最も貧しい国の一つだ。

人口の8割は貧困層で、
人口の半分の人びとが、
毎日を60円以下で暮らしている。

ハイチの人口は、
中南米諸国の人口の2%ほどだが、
中南米で死んでしまう赤ちゃんの
5人に1人は、
ハイチの赤ちゃんだ。


そして、ジネッテちゃんは、
そんな貧しいハイチの中でも、
さらに貧しい家で生まれた。

ある日、お父さんが、ジネッテちゃんに言った。

「お前は、都会に住む
 遠い親戚のところで暮らすんだよ。」


都会のポルトープランスに来たジネッテちゃんは、
それ以来、お金のもらえない使用人…
…もっと言うと、奴隷同然で働かされている。

毎日、水くみに、洗濯、掃除、
その家庭の他の子どもたちの世話…。


ジネッテちゃんは、
友達と遊ぶ時間もなく、
学校で勉強することもない。



このような子どもたちは、
ハイチではレスタベク(restavec)と呼ばれ、
ユニセフなどの調査によると、
その数は25万人ほどにもなるという。

そして、国の経済の悪化に伴い、
その数は、増え続けているという。


レスタベクの問題について、
ハイチ政府の見解は、
貧しい人びとが、
自分の子どもにより良い生活を与えるための、
ハイチの伝統文化だと言い、
貧しくて、子どもを育てられない親たちも、
そう願って子どもを預ける。


だが、残念ながら、その実態は、
世界で最も早く奴隷を駆逐した国に残る、
現代の奴隷制度の構造だ。


ユニセフは、
このハイチの子どもたちへの未来へ希望のために、
世界は、更なる努力をするべきだと言っている。

  


Posted by masaki at 00:21Comments(0)Global

2010年01月20日

無法地帯

ホーチミンは、乾季にしては珍しい雨天が続いている。

昨日、今日とだらだらと雨が降り続き、日本の梅雨みたい。

原因となっている低気圧はもうしばらく停滞するらしい。

早くスッキリとした晴天が戻ってきてはくれないものか。。



そんな久しぶりの雨に“あの場所”を思い浮かべてみる・・・

家屋を失った彼らに雨をしのぐ場所はあるのだろうか。





自然災害という誰にでも起こりえるはずの出来事で、

実際に犠牲になっている人の96%は、

発展途上国の人々だ。





その象徴的な例が、今回のハイチ大地震





ここハイチは、西半球で最も貧しい国と言われている。

国民の80%は劣悪な貧困状態に置かれているそうだ。

そんな最貧国に襲った今回の大惨事。

死者数は10万人、最悪20万人にものぼると言われる。

同国の人口は約1000万人。

要するに、100人に2人、単純に「50人に1人」が亡くなるという計算。


これって驚くべき数字ではないですか!?




ハイチに対して、各国支援に動き出しているが、

肝心の支援物資が一部にしか行き届いていない。

被災者たちはそんな現況に不満を募らせている。


そして、無法と化した被災地で次に起こるは、「生き残り闘争」。


首都ポルトープランスにある世界食糧計画(WFP)の食糧備蓄庫が略奪にあったらしい。

損壊した建物には、人々がたかり、

見つけたものをめぐって、怒号が飛び交い、激しい奪い合いが始まる。




倒壊した刑務所から収容者が脱獄する騒ぎも起きている。

国際赤十字の広報官は、囚人約4000人が逃げ出したと語った。


こうした震災後の混乱に伴う「無法状態」が危惧(きぐ)されている。 


そんな自国を見切り、国外へ脱出を試みる被災者も増えている。




自分には何ができるのか。

北中米カリブ海に浮かぶ小国は、自分とは無関係なのか。

大きく貢献できるだけの資金もない。(もちろん募金など小さな積み重ねが大事)

ましてや、現地に行って支援することなどできない。


もどかしい。。





だから、書く。


自分には、少しでも見てくれる人がいるこのブログで伝えることしかできない。

自分も含め、人は何かがあったときにしか、現実に目を向けない。

自分勝手な生き物だから。

でも、何かがあったときにさえ目を向けなかったら、どうなる?

そんな自己中心的な考えが今の世の中を作ってしまったのかもしれない。



小さな歩みが大きな一歩になることを信じる。



ちょっとでも考えてみよう、

世界のこと。  


Posted by masaki at 21:01Comments(6)Global

2010年01月17日

同じきもち

先日、ベトナムでは希少な邦画DVDを、

ベトナム人の友だちに借りられたので、

今日見ました。




その映画は、







『硫黄島からの手紙』




数年前、「硫黄島」を日米両視点から捉えた二部作として話題になりましたよね。

個人的にはとても素晴らしい映画だと思いました。



私が観て育ったほとんどの戦争映画では、

どちらかが正義で、どちらかが悪だった。

しかし、人生とはそんなものではないし、戦争もそんなものではない。

この2本の映画は勝ち負けを描いたものではなく、

あの戦争が人間にどんな影響を与えたか、

そして戦争がなければもっと長く生きられたであろう人々のことを描いている。



と、イーストウッド監督が言うように、まさしく、戦争とは何か、

人間は何故戦うのか、を考えさせられる作品に仕上がってます。



しかし、ここで言う「人間は何故戦うのか」という観点は、

戦争が始まってからのそれぞれの人の想いであり、

やはり戦争自体が起こらない方向にもっていければ。


今なお世界では、内戦、紛争、テロ、、、

様々な形で、戦争が続いています。

決して過去の話ではありません。

いま、この瞬間も、です。


そして、日本では約60年前、

ここベトナムでは、つい30年前まで主戦場として戦争が繰り広げられていました。

今、僕が住んでいる“まさにこの場所”も戦場であったに違いありません。

恐ろしい数の罪のない人々が犠牲になる、そんな“日常”があったのです。

そう考えると、胸が締めつけられる想いに駆られます。。



戦争がよくないということは、誰もがみな、頭では分かっています。

でも、日々を生きるなかで

戦争を心の底から憎む気持ちをもつことはなかなかありません。


※主演:渡辺謙談



そうなんです、みんな戦争がよくないことは分かってるんです。

それでも起きてしまう現実。

どうしたものか・・・



しかし、戦場で行われていたことを見てしまったら、

自分の息子や恋人を決してそこに向かわせたくないと思うでしょう。



これこそ映画のもつ力ですよね。

映画を作るたびに制作費何億円とか桁外れな数字が並べられますが、

それでも、人々の心に訴えかける力があるから

それをも上回る興行収入を得られる。

お金の数の話は好きではありませんが、

でも、それだけの人が見て、何かしらを感じているということ。

大切にしたい文化です。



ただし、こんなにも影響力が強いからこそ、

気をつけなければならないのが、情報のバランス。

偏った情報は固定観念、ひいては偏見をもたらします。



作中にもこんなシーンがありました。


「アメリカ軍は腰抜けだ」「鬼畜米英」などと唱えていた日本兵小隊の中に

引きずり込まれた一人の若者米兵。

心優しき中佐の計らいで手当てを受けたが、まもなく息を引き取る。

そんな彼の胸から落ちた一片の手紙。

アメリカでの日常の生活が記された、母親からの愛情がつまった手紙だった。

そんなごく普通の生活を、みな自分の故郷や家族と重ねる。


「同じなんだ・・」


アメリカのきもち、日本のきもち、同じきもち---



固執したステレオタイプは「知らない」ことで生みだされるもの。

さらに、戦時下という境遇で無意識に刷り込まれていく情報。

インターネットが普及していないという時代背景があったものの、

情報統制とか外部情報の遮断って本当に怖い。


時は違えど、今起きている戦争においても同様のことが言える。

渦中にある兵士たちの思想は、偏った情報の刷り込みによって

意図的に「相手=悪」の認識を作り出されているのだろう。

片や、自分たちは絶対的に「正しい」。

そうとも思わなければ冷酷な戦場で戦い抜くことは出来ないのかもしれないが。



こうしたことも踏まえて「情報のバランス」という点で、

なおかつ微妙な政治的な問題をクリアし、

「人」という視点で作り出されている点で、

この作品は評価されるように思う。


『硫黄島からの手紙』ホームページ



アメリカから見つめた硫黄島『父親たちの星条旗』

日本に帰ったら観ようと思う。










最近、ふと考えることがある。


全世界が平和になること、それは可能なのだろうか・・。


できることなら成したい願い!

みなさんはどうお考えですか?  


Posted by masaki at 22:33Comments(11)Movie

2010年01月14日

あんたの方が


知り合いに画像もらいました。







こーんな吹き出しつけてみよう。




“I thought motorbikes in Vietnam are crazy...”


















上には上がいるもんだ。  


Posted by masaki at 01:19Comments(6)ベトナム文化

2010年01月10日

しあわせ


年賀状いただきました。






いとしの彼らから♪


親御さんのお気遣いもあると思うのですが、めっっっちゃ嬉しいっす!

うれしすぎて思わず、ブログに載せちまったわけです。


みんな、元気にしてるかな?

ありがとね。



年賀状は誰に構わず、もらったら嬉しいものですよね。

思い入れが強い人であればあるほど、なおのこと。

たまに紛れ込んでくるお店の広告がてらの年賀状は別として、、。

まぁあれはあれで、クーポンとかついてたりするから嬉しいか(笑)


改まって手紙を送るのに抵抗があっても、年賀状なら何となく気軽に書ける。

相手の近況や“いま”を、写真や文面を見るだけで容易に想像できる。

面と向かってではないけれど、「繋がっている」ことを実感できる。

メールや電子媒体での新年の挨拶が増えてきた近年ですが、

個人的に、年賀状文化はなくなってほしくない日本文化の一つです。



あと3ヶ月経てば、彼らに会うことができる。

この一年で大きく成長しているに違いない。

そんなことを想像しているだけで心が躍る。

楽しみでならない。



その反面、3ヶ月という残された期間がものすごく名残惜しい。

帰りたいようで、帰りたくないような。

そう思わせるのは、ここでの出会い。

生意気な「やつら」←最大限の愛情を込めて)との出会い。

最近はちょっと手を焼いてるけど、

でも、、

いや!

だからこそ、いとおしい。



こうして、いとおしく思える出会いや別れが繰り返していくこと、

多くの人たちと繋がっていられること、

この上ない幸せ。


俺って、けっこう幸せ者じゃん!!笑



後悔することがないように、

未練を残すことがないように、

全力で「今」を生きる!






縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます

「糸」より  


Posted by masaki at 21:21Comments(6)日本文化

2010年01月05日

09→10

日本では、正月三が日が過ぎ、

浮かれ気分から日常に引き戻されているところでしょうか。

いつまでもお正月気分ではいけませんよ!


さぁー、2010年頑張っていきましょう!!



新たな年を迎えるにあたり、

大切なのはやはり

過去から学び、

「目標」を見据えること


ですよね。



2009年まっつの目標は、

“Chance・Challenge・Change”

の「3C」でした。

振り返ってみると、上出来!

といっていいほどに達成できました。


2009年一年に限らず、自分にとっては、

部活の引退が一つの節目でした。

2008年秋のことでした。

第2の人生が幕を開けました。

そういう意味では、最高のスタートダッシュを切ったわけです。


それまでの人生は「サッカー」が中心の生活。

もちろん今も「サッカー」が中心の生活だけれども、

「プレーヤーとしてのサッカー」が常に生活の中心にありました。

寝るにしても、食べるにしても、遊ぶにしても、

いつもサッカー選手であることを軸にして生活してきました。

根が真面目であるがゆえに、それはもう異常なまでに。



しかし、部活引退と共に訪れた一つの転機。


    ベトナム


まさにそれは、自分にとって“Chance”でした。


昔の自分だったらそこにチャレンジすることが出来なかったかもしれない。

でも、自然とその“Chance”を掴もうとしている自分がいた。

“Challenge”してやる、“Challenge”したい、そう思える自分が。

何年か前の自分からは考えられない選択だった。

でも、必然であるかのように、その道を選ぶことができたのは、

親から離れ、おぼろげな野望と甘えた理想を掲げ、

一人で、つくばと言う「偏狭の地(笑)」に訪れたことによる。

そこでの出会い、試練が保守的な自分を脱しさせてくれた。


このままじゃいけない。


変わりたい自分、変われない自分。


いや、絶対に変わってやる!



初めての海外生活は毎日が刺激に満ちていました。

特にそれがベトナムであるがゆえに。

重い歴史を有し、良くも悪くも未だにその匂いが残る地。

ベトナムに限らず、旅行で訪れたカンボジアも然り、


そこには、まだ見ぬ「世界の現実」がありました。


「世界の現実」と一言に片付けしまうのは、浅はかかもしれない。

でも、その現実に向き合えている日本人がどれほどいるだろうか。

いや、知っている日本人がどれだけいるだろうか。



『有り余るほどに恵まれた環境で与えられたものを持て余している』



自分のためだけに生きていていいのか。

無知な自分のままでいいのか。

知らない世界を知ろうとする努力を、自分は今までしてきただろうか。


知りたい、知らなければならない。



ベトナムに旅立つ前、ある人に言われた。


「環境(外)を変えれば、自分の外面は変わるかもしれない。

でも、自分の本質(内面)は変わらない。」


ベトナムに来てからも、この言葉が引っかかっていた。

ベトナムに来ることは単なる冒険に終わってしまうのでは、と不安も抱いた。

しかし、そんな不安を蹴散らすほどの世界が待っていた。

目の前の現実は、自分の思考に有無を言わせなかった。


もちろん、自分がそうした人間的な変化を望んでいたからである。

海外に出ても、変わらない人は変わらないだろうと思う。


「外からも攻めるが、中からも攻める」

その人に宣言した。


そして、双方から攻め、

『世界』を知り、『自分』と向き合った結果、

世界と自分は繋がった。



“Change”



自分の絶対的だった価値観が変わった。

この世の中に「当たり前」なんてない。

青二才の心は、それまで凝り固まっていた。

あまりにも無知だったのだ。



いま、9ヶ月という時を経て、


「世界のために・・・」


そう本気で考えられる自分がいる。

ちっぽけな自分にはでかすぎる目標かもしれない。

でも、小さなことでいいんだ。

小さな一歩が大きな一歩。

そう思えるようになったこと自体、大きな変化。





でも、まだまだ。



変わり続けたいし、

変わるために

チャレンジし続けたい。


だから、2010年の目標は、


“Challenging & Changing”


ベトナムという国に同じく、自分はまだまだ発展途上。

だからこそ、秘めた可能性も大きい。

そう信じて、挑み続ける。




今日は、若干、自己分析的な日記になってしまいました。

しかも、長文。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。

小生意気な若造の独り言だと思って聞き流してください。



最後に、

こうして自分の歩んできた道を振り返るとき

必ずと言っていいほど思い浮かべる言葉。



「ありがとう」



伝えなければならない人を挙げれば切りがない。

遠く離れてるけど、いつも応援してくれている家族、友人、知人。

道(未知)を指南してくれる人生の先輩方。

切磋琢磨し、高め合える仲間たち。

元気と勇気をくれる子どもたち。

数々の出会いとチャンス。

偶然という名の必然。

もはや、神様ぁ!


こうして、ブログを見てくれている人たちにもありがとう。



たくさんの出会い。

たくさんの感謝。



これからもよろしく。




ありがとう  


Posted by masaki at 23:34Comments(8)Private

2010年01月02日

らしからぬ

元旦、らしからぬ元旦。




街、いつもと変わりません。

バイクのクラクションが騒がしい。


それらしき飾りつけ、見当たりません。

ベトナム国旗が少々。


みんな働いてます。

お店も通常営業。




うーん、、、いわゆる日常。


こんなにもふつーな1月1日は生まれて初めてでした。

あまりにもふつーすぎて、日記書きました。


日本の正月はなぜあんなに「正月らしい」のでしょうか。


初詣?

お雑煮?

箱根駅伝?

「写ルンです」CM?


みなさんは「お正月」と聞いて何を思い浮かべますか?




まぁでも、ベトナムにはちょっとしたわけがあるんですね。

ベトナムでは未だに旧暦が重んじられています。

旧暦の読み方はわかりませんが、昔の暦に合わせて元日が毎年変動するそうです。

テト(旧正月)ってやつです。

この時期、ベトナムの街は花でいっぱいになるらしいです。

そんで、閑散とするらしいです。

学校、会社、みんな休みになります。

日本人学校も例外ではありません。


ちなみに、今年は2月14日が元日らしいです。

バレンタインデーと重なってるけど、どうなっちまうんでしょーね。

ただ、ベトナムには女の子からチョコを渡す文化はないんだそうです。


「へぇ~」ですね。




と、まぁ、何だかふつーすぎて脱力系日記になってしまいました。

こっちに遊び来たい人、2月12日~19日までオフ予定です。

それ以外の日程でも、お待ちしております。

いくつかアポもらってますが、お早めにどうぞ。




カワユス。  


Posted by masaki at 22:51Comments(8)ベトナム文化

2010年01月01日

Chuc mung nam moi !!

日本から遅れること2時間・・・


ベトナムでも年が明けました。





「チュック ムン ナム モーイ!」




新年あけましておめでとうございます。





みなさんはどんな年越しを過ごしたでしょうか?




まっつは、友達のベトナム人3人(笑)と、“街をあげて”のカウントダウンに行ってきました。

街をあげて、、、というか「街全体を巻き込んで」って表現のが正しいのか!?

レロイとかグエン・フエとかレ・ユアンとか

街の大通りがジャックされ、歩行者天国と化し、

カウントダウンライブが数箇所で催されてました。



(“CDJ”ならぬ“CDV”だぜ、お二人さんよー。)



当然、あれだけの数のバイクですから、

近辺のいたる道路は大渋滞。

それ以外の場所(歩道や公園)は駐輪バイクの大洪水。


家から徒歩で、というPhat君の判断は正しかった。



クリスマスに続き、初めての海外での年越し。

昨年は本当に「初めて」が多い一年でした。

まぁー海外の初生活だから当たり前か。


例年ならば、紅白とガキ使とCDTVをコロコロ変えながら、

その瞬間を「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞いて家族と共にしっとり迎える・・

というのが松野の定番だったのですが、


『ところ変われば文化も変わる』


というわけで、

今年は、聞き取れないベトナム楽曲の大騒音と

大量の人とバイクと共に年明けを迎えました。


その割に、新年迎えて10分後には解散っていう

驚異的な撤収の速さだったり、




盛大に花火が打ちあがると聞いていたのに、

形ばかりの置き型花火と上空からの多量の風船落下

という演出のギャップにベトナムらしさを感じながらの年越しでした。


せっかくベトナムにいるのだから、

たまにはこんな年越しも悪くない。

年越しそばならぬ“年越しブン・ボー・フエ”も近所の屋台で食べたし、我満足なり。





そんなこんなで、みなさん、

今年もよろしくお願いいたします!!




今から、Phat君の家でベトナム家庭料理をいただいてきまーす♪  


Posted by masaki at 13:23Comments(14)ベトナム文化