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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2011年11月15日

お久しぶり


みなさん、お元気ですか?

私は生きてますよ。

生きています、という証拠をこの日記に替えたいと思います。

日記が久しぶりすぎて、写真のUPに苦戦しました。



という、久しぶりの日記が姉自慢です。


・・・ひかないでください。笑



でも、この人、ホントすごいんです!

バイタリティーが!!

この人見てると、「生きてるな~」って感じる。

俺も負けん!って気になる。

いい刺激もらってます。



その姉が


なにやら

IKEAの会員誌に


表紙+記事6面のっちゃったらしいんです。











やるね~

今までも色んなインテリア雑誌にのったり、

インテリア大賞なるものをとって「王様のブランチ」でたり

様々に、にぎわせてきた彼女ですが、


今度は

世界進出です。


今回のは、日本を飛び越えて、

世界約40ヵ国に展開するIKEAの一部の国でも出版されているみたいで。


はぁ

もう、いくとこまでいっちゃってー

って感じです。



人には個性があるので、真似ようとは思いませんが、、、


俺も負けん!!



サッカー界やそれぞれのフィールドに飛び出ていった

蹴球部の同期や先輩・後輩もみな頑張っているみたいで、

身の回りに尊敬できる人がいるってことは幸せなことです。


みなさんも、張り切っていきましょ~☆
  






Posted by masaki at 19:52Comments(8)Private

2011年03月16日

PRAY FOR JAPAN

MSNニュースより転載。

怒号もけんかもない 「強い国」と越メディア

「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」。ベトナムのメディアは、東日本大震災での日本人の冷静な対応ぶりを、在日ベトナム人らが驚き称賛する声を伝えた。

「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」。日本で働くある女性はインターネット新聞に「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」と語った。

ある留学生は、長い列をつくってバスや公衆電話を我慢強く待つ光景などを挙げ「皆が冷静に秩序だって行動していた」と称賛。別の留学生は、教師が子どもたちを誘導する姿など、行政当局者から民間人までの素早い対応ぶりに驚いたという。

さらに「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」とたたえる声も伝えられた。(共同)

↑↑↑

確かにそうだよね。

日本で「当たり前」に思われる光景も、世界では実は当たり前でなかったり。

もっぱらベトナムでは、こういう秩序はあり得なかったな。

もちろんそれぞれの国によきところがあると思うし、

(ベトナムに関していえば、そのルーズな感じが逆に良かったり)

他の国を批判するつもりも毛頭ない。


でも、

この秩序だったマナー文化は誇っていいぞ、ニッポン!!

危機的状況にこそ、その人の、その国の「素」が現れる。



・・・だからこそ

醜い人災はなくしてほしい。

つくばでも実際に起きているらしい。

人の不安につけこんで犯罪するなんて最悪だ。




素敵な動画があったので紹介します。

PRAY FOR JAPAN

図らずも、この震災を機に世界が一つになりつつあるのを実感。

こうした、人と人、国と国との「思いやり」が“日常”になればいいのに・・・。



(14日、出生4ヶ月の赤ちゃんを救助した自衛隊員)  






Posted by masaki at 10:09Comments(1)いい話

2011年03月13日

無事

生きててよかった。


まずは、その一言。

正直まだ夢を見ているようで、実感がわかないけど。

肉体をもって生きている、それがどんなに素晴らしいことか。

改めて感謝。


私たちは日々当たり前のように幸せを享受している。

食べて、飲んで、お風呂入って、寝て・・。


でも、今回多くの人がその当たり前の幸せに感謝し直しているのではないだろうか。

おれ自身は一昨年ベトナムに行って、当たり前の幸せに感謝することを思い出したけど、

それでも身をもってその境遇に立ってみると再認識する。


つくばは揺れ(震度6強)の割には比較的被害は少なかったけど、

今なお断水が続いており、昨日までは停電していた。

水、電気、ガス、、そういったものが当たり前に使えることがどれほどの感謝であるか。

東北地方の震源近くの住人たちは今も避難所生活を余儀なくされていることだろう。

食べ物がない、暗い、寒い、怖い、寝たいけど眠れない。


私たちに今できることは何か。




本当に多くの方から心配の連絡をもらったのは嬉しかった。

改めてありがとう。

被災した時には、大学の図書館(体芸)にいた。

館内のパソコンルームにいたんだけど、

揺れが大きくなるにつれて皆が慌てて外に出て行った。


俺はというと、

机の下に潜る!隠れる!祈る!


不運にも窓際の席だったので、窓ガラスが割れないことを切実に祈る。

次第に大きくなる震動。

なかなか収まらない。

30台はあろうパソコンが一斉にシャットダウン。

なんだこれ・・

焦る汗


ようやく揺れが収まって

部屋を出る。


信じられない光景・・。


うちの図書館は中央部がガラス張りの吹き抜けになってるんだけど、

館内の本がほぼ全部落ちているのは当然のことながら、

窓際の本が落下したために窓ガラスが粉砕。

上の階からガラスが降ってきた形跡。

本といっしょに床に広がるガラス片の数々。


絶句。


幸い、ケガ人などはいなかったようだが、その下にいたら・・と思うとぞっとする。

改めて、生きていることに感謝。


今回「生/死」に関して多くの人が改めて考えたのではないか。

おれ自身も考えた。

゛人はなぜ生きているのか。゛

゛どのように生きるべきか。゛

最も身近にある関心事でありながら、日本人が最も考えない問い。

死の恐怖を煽るわけではないが、「生きる意味を考えずに生きている」のには何か矛盾を感じる。

今回の震災で犠牲者数が「万人単位になることは間違いない」(宮城県警発表)という。

自分がその立場になったことも十分に考えられる。

“生きられた”自分が今後どのように生きるか、生きるべきか。


デカいけど、かねてからの『世界平和』を改めて心に誓うことになった。

自分に何ができるか。

簡単でないことは確か。

でも、願わなかったら成すことはできない。



最後になりましたが、犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、

今なお不安や恐怖と戦っている方々にエールを送ります。
  






Posted by masaki at 19:37Comments(8)Private

2010年12月25日

クリスマスに何おもふ

メリークリスマス!!

みなさん、聖なる夜をいかがお過ごしでしょうか?

久しぶりの日記更新ですが、そんな私からみなさんにクリスマスプレゼントを☆

ついさっき読んだばかりのアツアツの「いい話」をどうぞ。


自分の心が愛と平和に満たされるこんな日だからこそ、

自分以外の世界に目を向けてみてはいかがでしょうか。


-------------------------

みなさん、「ロベルト・クレメンテ賞」って知ってますか?

今日はその「ロベルト・クレメンテ」さんのお話です。


ロベルト・クレメンテ賞」は、地域活動を通して社会貢献した選手に贈られる賞です。

大リーグではMVP(最優秀選手賞)やサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)以上に栄誉ある賞とも言われています。

プエルトリコ出身のロベルト・クレメンテは、「カリブの星」と呼ばれ、

現在大リーガーの約3割を占める中南米選手の先駆けとなった黒人選手でした。

1955年から’72年までの18年間、ピッツバーグ・パイレーツ一筋でプレー。

首位打者4回、MVP1回、オールスター12回出場、通算3000本安打、240本塁打など数々の記録を残しました。

右翼手としても「ライフル・アーム」といわれた強肩で、ゴールドグラブ賞12年連続受賞。

この記録は今でも外野手の最多記録として残っています。


その大リーグ史に残る名選手が、時代を超えて尊敬される「伝説の英雄」になったのは、

1972年の大みそかでした・・・


12月23日、ニカラグアの首都マナグアでマグニチュード6.2の大地震が起きた。以前から出身地のボランティア活動に取り組んでいたクレメンテの行動は素早かった。翌24日には母国プエルトリコと米国でチャリティーを呼び掛け、集まった救援物資や医薬品を船で被災地に輸送した。ところが、送ったはずの積み荷は、被災者のもとにきちんと届いていなかった。一部の政府高官や軍によって横流しされ、闇市で売りさばかれていたのだ。事実を知ったクレメンテは、自らの手で救援物資を現地に届けることを決意した。
チームメイトが家族とともに、お祭り気分で新年を迎えようとしていた、12月31日、クレメンテはプエルトリコの首都サンファンの空港から自らチャーターした飛行機で、被災地へ飛び立った。しかし、積み荷制限をはるかに超える救援物資と医療器具を満載したプロペラ機は、離陸直後に傾き、そのままカリブ海に墜落した。荷崩れを起こした飛行機がバランスを崩したことが原因といわれている。数日間に及ぶ捜索で見つかったのはパイロットの遺体だけだった。

クレメンテの悲劇的な、そして崇高な最期は、国境や人種を越えて人びとの心を動かした。翌’73年、当時のニクソン米大統領は、クレメンテの遺志をくみ、恵まれない子供たちへの財団設立を呼びかけた。同3月には、原則として引退後5年経過しなければ認められない殿堂入りが圧倒的多数で決まった。パイレーツは同4月6日の開幕戦を追悼試合とし、クレメンテの背番号21を永久欠番とした。そして、大リーグ機構は社会貢献活動に尽力した選手を表彰していた「コミッショナー賞」の名称を、「ロベルト・クレメンテ賞」に改めた。
これを機に、メジャーリーガーたちに社会貢献活動への意識が一気に高まった。「ロベルト・クレメンテ賞」は、選手たちにとって「崇高な精神」の証として、MVP以上の大きな目標になった。

死後40年近く経った現在も、クレメンテの精神は光を失うことなく、時代を超えて受け継がれている。

近年、日本のプロ野球選手の間でも、社会貢献活動への機運が高まっている。’99年に「ロベルト・クレメンテ賞」の日本版「ゴールデンスピリット賞」が創設された。第1回は少年のいじめ防止キャンペーンに尽力した松井秀喜が受賞した。
’06年にパイレーツに移籍した桑田真澄はチームを選んだ理由についてこう話した。「重要だったのは、昔から自分の中で大切にしている選手(クレメンテ)がプレーしていた球団だし、そこにすごく引かれた」。カリブ海に沈んだクレメンテの精神は、太平洋を超えて世界中に広がっている。

「もし物事をよくする機会があるのに、それをしなかったら、人生を無駄にしていることになる」
――ロベルト・クレメンテ



以上、『スポーツゴジラ』第14号「スポーツと社会貢献」より抜粋




クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝う日だといわれますが、

まさにそのイエス・キリストのような精神をもって実践していた人が、

38年前のクリスマスにも、いたんです。


近頃では「社会貢献」という言葉をよく聞きますが、

クレメンテのように実際に行動に移せる人がどれほどいるでしょうか。

自分も例外ではありません。

口で言うのは簡単だけれども、行うのは難し。

クレメンテをみならって行動します!!


「行動」は無から有を創造する。

「言葉」は行動するまでは形のない存在だ。

話したことを行動すれば、言葉はその時はじめて形を持ち、生きた存在になる。




『有言実行』

2011年のテーマにしよう。  






Posted by masaki at 01:27Comments(5)いい話

2010年06月24日

ついに来た!

運命の一戦。


がんばれ!ニッポン!!



一サッカーファンとして全力で応援します!!

みなさんも熱いエールを送りましょう。






たまには、こんな短い記事もいいよね。  






Posted by masaki at 17:31Comments(4)soccer

2010年06月10日

久方ぶりの

お久しぶりです。

みなさん、いかがお過ごしですか?



日本に帰ってきたら日本の生活に染まってしまうものですね。

ブログの更新がすっかり滞ってしまいました。

タイピングにかつての勢いが出てきません。

うじゃうじゃ走るバイクの波をかき分けるようにして生きていた

あの頃のあの勢いを思い出さねば、、。



懐かしいな~


バイクもさることながら、

何度見ても

電線多いな!

線じゃなくて、もはや電束だな(笑)




さて、そんな松野は今なにをしているかと言うと、

大学院生です。

大学院で研究っぽいことしてます。

研究って言ってもうちの研究室はもっぱら本を読むことが第一です。

私のかばんの中にはいつも何かしらの“重たい”本が…。

正直、研究なるものを少々なめてました汗


一年目なので、授業も多く、

ゼミ形式の授業も多く、

毎週何かしらの発表をしている気がします。

頭が忙しいです。



それ以外にも色々やっていて、


小学生にサッカー教えたり、

社会人にサッカー教えたり、

幼稚園児にサッカー教えたり、

保育園児にサッカー教えたり、

、、、


えー

要するに、サッカーしか教えてません(笑)



プレーヤーとしては、

蹴球部の面々に混ざって週2、3でやらせてもらってたり

初心者もいる社会人や学生たちにサッカーを教えながら一緒にやらせてもらったり

案外動いてます。

かつて私にしがみ付いていた筋肉くんたちを取り戻すべく頑張っています!
(早く帰ってこーい)



あとは、なにかしの講演会に行ってみたり、

東京近郊でワークショップに参加してみたり、

いろんな方に会って対話してみたり、

結局、何かと忙しくしてます。

(※サッカー教えてるだけじゃないですよ!)

でも、充実してます!!



なんやかやありますが、

大学時代より明らかに生き方の幅は広がっております。

それもやはり、ベトナムでの一年があったから。


「ベトナムは俺の価値観を180°変えてくれたよ。」


なーんて友達に言ったら


「おまえ後ろに戻ってんじゃん!」

って言われました。


だから、控えめに120°くらいにしときます。


でも、そのくらい俺にとっては大きな一年だったんです。

見るものすべてが新世界で、

聞くものも、感じるものも、人も全部。


ベトナム滞在という経験だけじゃなくて、

今まで中心にしてきたプレーヤーとしてのサッカー競技生活からの転換。

=人生の第2ステージの門出。

自分でお金を稼いで、食べるということ。

(しっかし、ベトナムの物価は安かった!!と身に染みて感じる今日この頃)

そうしたことも重なって、

自分のことも世界のことも色々考えたから

「大きな一年」だったんです。



世界を変える。

→日本を変える。

→→自分が変わる。

→→→日本が変わる。

→→→→世界が変わる。


CHANGE!! We can do it!!


俺が考えてるのは、そんなとこです。

オバマ大統領げんきにしてるかな?


そんなきっかけとなってくれた“ベトナム”を忘れないために、

「ベトナム回想記」としてブログを再開させることにしました!

ここ日本で感じることと「ベトナムで感じたこと、考えたこと」をリンクさせながら、

徒然なるままに書いていく予定です。

これからまたちょいちょい更新していくつもりなので、

よろしくお願いします!!


みなさんの近況なんかも教えてくれたら嬉しいです。


では、また。



気の抜ける一枚。

けっこうお気に入り♪  






Posted by masaki at 16:53Comments(24)Private

2010年03月31日

ご報告



ただいま。




報告が遅くなりましたが、

26日に無事、日本に帰国しました。




空港には多くの子どもたちとお母様方が見送りに来てくださり、

言葉にならないほどの感無量の門出となりました。





ハートうとがりあ


夜10時を過ぎているにも関わらずわざわざ空港まで来てくれて、


トロンとした眠い目をこすりながら元気なエールをもって送り出してくれて、


「ありがとう」と言ってくれて、


ありがとう。


コーチは最後までみんなに勇気と元気をもらいました。



出国間際になってトラブルが発生し

空港内を二人して全力疾走するハプニングもありましたが、

何はともあれ、こうして無事帰って来れたことを嬉しく思います。

感謝です。




日本は、、、


とにかく寒い!!!




気温40℃近い常夏ホーチミンから極寒の地つくばに

松野の肌が適応するのにはどのくらいの時間が必要でしょうか。。




以上、取り急ぎご報告までにて。  






Posted by masaki at 16:21Comments(16)つくば

2010年03月18日

おさめ

本当に時が経つのが早い!

書きたいことがいっぱいありすぎて困るけど、

すべてを書く時間もないのでとりあえず今日の出来事を。



今日はベトナム人の友達Phatくんらとヤギ料理を食べに行った。



おそらく今夜で、ヤギは食べおさめになるだろう。

これから起こる全てがベトナムでの「おさめ」になるのかな。




親愛なるヤギさんへ



キミを初めて食べたのは、昨年5月だったね。


少しクセのある焼いたお肉と





キミをつかさどる大切な部位を大胆に放り込んだ鍋とが




そうした食べ物に対して免疫力の低かった僕たちに

多大なるインパクトを与えてくれたね。





しかし、今や白子にも似たその独特なふわりとした食感に落ち着きを覚えるし、

ぼくは、キミの味を忘れたくない。

いま僕の服に染み付いた、キミのその強烈な臭いにさえ親しみを覚えてしまう。


そう、僕は、キミが好きなんだ。





気づかぬうちに、だいぶベトナム化していたようだ。



先日は、ついに!

絶対に食べまいと心に誓った「ホビロン(=孵化寸前の鳥のひな)」を食べた。

食べてしまった。




普通に美味しかった。

形になり始めた羽の部分が内頬にふさふさと少し当たっていたけども、

そんなこと気にしない。




もはや


「この、ベトナム野郎!」


と言われようとも快く受け入れよう。


今の僕には褒め言葉にしか聞こえない。





そんなベトナムなるものを僕たちに教えてくれた

Phatくんとその兄Phoungさんには本当にお世話になった。



二人は、さすが兄弟だね。



ベトナムにもまだ慣れていなかった4月。

彼らの親戚の家があるというファンティエットビーチに連れてってくれた。

友達の友達だからという理由で。

見ず知らずの僕たちを。

ベトナムとは何ぞやというものを見せてくれた。

いや、まざまざと見せつけられた。



それからも事あるごとに誘ってくれて、

色んな食べ物を教えてもらったし、

一緒に卓球したり、

カフェ行ったり、

実家にも招いてくれてご飯をご馳走になったり、

本当によくしてもらった。



そんなあなた達には


「ありがとう」

しか言えません。




だから、ヤギさん。


キミにも

ありがとう。
  






Posted by masaki at 01:06Comments(4)ベトナム文化

2010年03月13日

あっ

という間に、

3月も半ば。


やべー、書きたいことが溜まってる。


はえー、時が経つのがはえー!!




とりあえず


出会いと別れに感謝。

感謝し合える関係って素晴らしい。


  






Posted by masaki at 03:03Comments(20)サッカースクール

2010年02月25日

一万円の人


“天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ”



かの有名な福沢諭吉『学問のすゝめ』の名だたる一節ですね。


しかし、文字通り解釈していた無知なまっつは、

世界を見て、


「全然そんなことないじゃん!」

と、憤りすら感じていました。



・・・が、

これ、実は続きがあったんですね。

恥ずかしながら、今日知りました。。



天は人の上に人を造らず

人の下に人を造らずと言われている、、、

人は生まれながら貴賎上下の差別ない。

けれども今広くこの人間の世界を見渡すと、

賢い人愚かな人、貧乏な人金持ちの人、

身分の高い人低い人とある。


その違いは何だろう?


それは甚だ明らかだ。

賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。

人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど

ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり

無学なる者は貧人となり下人となるのだ。





「言われている」とあるように、実は冒頭の節は彼自身の言葉ではないんですね。

アメリカ合衆国の独立宣言から引用したものだそうです。


とはいえ、それに続く論が素晴らしい。


まだ武士なる人がいたであろう

そして街にはやっと電燈が灯りはじめたこの時代に

これだけの教えを説く彼は、さすが「一万円の人」です。




そしてまた、この論は今の時代にも当てはまります。



今の人間世界を見渡してみると、、


貧困、格差、階級、身分、差別、

「平等」とは言いがたい世界が広がっています。


日本も然り、世界ならばなおさら。



そして、その差を決定付けているものは、

やはり「学問」、すなわち「教育」だと思うのです。


グローバルな視点では、

経済も教育制度も整った先進諸国が

東南アジア、アフリカ、中南米、、、

無知で無学な貧しい人々を喰い物にしている。


言葉は悪いですが、そうだと思うのです。

それが世界の現実だと思うし、

また、それなくして現在の世界経済が成り立たないことも事実です。

空しいですね。。


この現実を変えるには、

おそらく世界の経済システムそのものを変えるしかないでしょう。

しかし、それは非常に難しい。

あー、、ここが小生の、答えの出ない近頃の葛藤であります。

そんなことできますかいな?

誰か教えてください。



その辺の議論はさておき、

まっつが心を痛めているのは、

教育を受けられない環境があるということ。


学校にいって授業を受けること

それは当たり前ではありません。



世の中には、「ストリートチルドレン」と言われる

路上で暮らす(しかない)子どもたちがいます。


「債務労働」と言って

生まれながらにして、親の負ったその債務を

自身の生涯をもって払う子どもたちがいます。


我が親によって売り飛ばされる子どもたちがいます。



彼らには教育を受ける権利がないのでしょうか。


一見すると、英語も日本語も使いこなす物売りの子どもたちは

学があるように思われますが、

しかし、その日暮らしの薄っぺらな学に過ぎません。

なんせ学校にも通わず、日々のコミュニケーションから身につけた付け焼刃ですから。

もちろん、そうした生きる知恵を否定するつもりはありませんが、

でも、そうすることでしか生きられない現状には苦悶させられます。



今回の旅では、お金の代わりに

わずかながらの文房具と飴玉をもって回りました。

それが何になるのか、、、わからない。

でも、そうした子どもたちを目の前にして



何もせずにはいられなかった。



人間が作り上げてしまったそのシステムは、

人間自らの手で変えるしかない。


全世界が平和になることは可能なのか?


カンボジアの旅でKと語り合った大きな課題です。  






Posted by masaki at 20:19Comments(8)

2010年02月23日

ライフ

ベトナムの街が活き活きとしている理由が分かりました。


それは、仕事と生活の線引きがあいまいだから。

仕事の中に生活があったり、生活の中に仕事があったり。

まぁーよくも悪くも。



仕事しながら、ちゃっかり自分のご飯食べてたり、

接客しながら、携帯電話いじってたり、

DVD見たり、お笑い番組見て爆笑してたり、

店員同士ふざけあってたり、

客用のイス並べて昼寝してたり、、。


しかも、それらをお客の前で堂々と。

隠すそぶりなんてこれっぽっちもない(笑)





カンボジア行ってもやっぱりそうでした。



彼ら、彼女らには、きっと「サービス」なんて概念はないのでしょう。

でなきゃ、客よりも先にご飯は食べません。


「お客様=神様」なんて図式は頭の片隅にもないのでしょう。

でなきゃ、携帯片手にぶっきらぼうに接客しません。


つまり、客と店員は対等な立場なのです。








対して、日本はどうか。



素晴らしい。


非の打ちどころのない完璧なるサービス。

ゴミやら、食べかすやら、ライムやらが落ちてない綺麗な床。

不自然なまでの満面の笑みでの接客。

嫌な顔なんて一つもしません。


だって、

お客様は神様でございますから!



毎度ありがとうございます!

またのお越しをお待ちしております!




なんてベトナム人は絶対に言わないよ?笑



でも、俺が言いたいのはどちらが優れているというのではなくて、

そうした接客の態度や姿勢ひとつからでも

その国の国民性や文化、習慣、考え方、

つまり「その国らしさ」が見られるということ。


異国の日常に目を向けることは非常に面白い。



個人的には、東南アジアのゆるーい感じは嫌いじゃない。

むしろ、好きだ。

たまにイラッとはするけども、それもご愛嬌。

働くとしたら絶対に気楽だろうな。

仕事の現場から「苦」が感じられない。

いたって楽しんでいる。

それは生活の延長だから。

延長というか生活の中に包括されている。

「仕事」という気張った括りはないんだろうね、きっと。

だから、こっちの人の生活には活力があって、

活き活きとしてるんかなぁーなんて考えてみた。





そんな中での、心温まる「思いやり」だから、際立つ。

人の優しさがあったけーんだ。

日本のサービスにも感動するけど、

時にサービスの域を超えて“義務感”を感じることさえある。

もともとは思いやりから始まったサービスのはずなのに・・・。

矛盾だ。


こうした「しなければならない」サービスに従業員はストレスを覚えるのかもしれない。


先に、ベトナムでは仕事と生活の線引きがあいまいだと書いたが、

ある意味、日本でも、仕事と生活の境界が曖昧になっている。


常習化した残業。

残った仕事はお持ち帰り。

プライベートな時間をも仕事に費やし、

気づけばいつも仕事のことが頭から離れない。


「仕事」が「生活」の領域を脅かしている。



そういえば、こっちに来てから「自殺」って言葉聞いてないな。



この国も日本と同じ軌跡を辿るのだろうか。

「発展」とはなんぞや!?と、考える今日この頃。


チャーオ。



何だよ、そのポージング(笑)

おまえ、可愛すぎるよ。



※「仕事も生活だ」という意見もあると思いますが、ここでは限定的に「生活」を定義しています。  






Posted by masaki at 23:27Comments(4)ベトナム文化

2010年02月20日

No money No honey

行ってきました、カンボジア。


うーん、、、

何度行っても素晴らしい。

感慨深いものがある。



遺跡もいいけど、

人がいい。


子どもとかめっちゃなつっこいし、

なーんかあったかい。

カンボジア、好きだな。


気候はすっごい暑いけど。

おかげで、より焦げたけど。





そんな今回の旅のテーマは、


「人、こども、そして生活」



遺跡もさることながら、

そこに住む人やそこにある生活にも接近する旅にしようと思いました。



そんな旅では、

同行したカメラマンKの腕が光りました。

やはりプロの腕は違う。

Kがカメラを向けるとみな笑顔になる。

素の顔が表に出てくる。

カメラもやはり奥が深い。


プロってこういうことか。









そこにある日常だから伝わるもの。



建築物、食べ物、服、言語、、


色々あるけど、やっぱり文化を作るのは

「人」だなって思う。


そういう意味では、ホントにカンボジアの人が好きになりました。


前回のカンボジアの旅では、

物売りの子とか敬遠してしまうようなとこもあったけど、

でも、やっぱり彼らも子どもで、

飴あげたらめっちゃ喜ぶし、

なんか手ふってくるし、

無邪気に遊んでるし、

笑顔が素敵だし。



スマイルはやっぱ万国共通だな。


ちゃんと目を向けよう。



でも、だからこそ、子どもには子どもらしくいてほしい。

小学生くらいの子どもが学校にも行かないで、

仕事を覚えて、生計を立ててたり、

変に商売がうまかったり、、。




「一つ1ドル!」


「えー、マグネットはいらないよー」


「じゃー2つで1ドル!お願い!!」


「だから、マグネットはいらないんだってばー(苦笑)

それに、お金持ってないよ?」




笑いながらそんなやり取りをしていると、、、




ふん!!

“No money, No honey”







それ言っちゃう!?

やられたわー!!笑




それでも買わないと、


“No funny”


って、捨てゼリフ吐いてくるしw

どんだけ商売慣れしてんだよ。




今回の旅も色々考えさせられました。

これから少しずつ書いていこうと思います。

若僧一人の頭では、浅はかな答えしか出てこないので、

「考える」お手伝いをしてもらえたら助かります。

当然、しょーもないコメントも受け付けますよ。



それでは、明日は新年一発目のお仕事なので、この辺で。

ベトナムは旧正月が開けましたよー
  






Posted by masaki at 01:10Comments(8)

2010年02月11日

2ndステージ

今から約3時間後、ホーチミンを発ちます。





目指すは、、、











カンボジーア。








ベトナムは、テト間近。

休みを利用しての二回目のカンボジア遠征です。


今回は往復バスの旅。

どうなることやら。。


しかし、前回以上に濃い旅にしてきます!!



詳細は帰越後、報告します。

コメントは帰ってきてから返します。

すんません。




それでは、いってきまふ。  






Posted by masaki at 05:29Comments(2)

2010年02月09日

日本に生まれるということ



それは、すなわち

世界行きのチケットを手に入れるということ。



これ、友達の受け売りです。



先日、ベトナム人の友達Phoungちゃんのお別れ会に行ってきました。

なんでも、家族みんなでアメリカはオハイオに行くのだとか。

つまりは、お堅い言葉でいえば「越僑」。



ベトナム戦争の影響で、戦後、多くの「南」の人たちは海を渡り、

対戦国であったアメリカをはじめ、国外へと希望を求めた。

中には命を懸けて「ボートピープル」という形で国外脱出を試みる者もいた。

その数は何十万にものぼった。


現在、「越僑」のその数は300万人にも及ぶ。

ベトナムの人口が約8312万人だから、人口比では3.6%程度になる。(2006年調べ)

「越僑」は世界各地に散らばって活躍しているが、

地理的な分布をみると、その多くは米国に居住していることがわかる。

米国に居住する「越僑」は約122.4万人で越僑全体の3分の1以上を占めている。


ベトナムにおける「越僑」の貢献は計り知れない。

越僑による国内への送金額は、ODA総額を上回るという。

ベトナムの正月である「テト(旧正月)」が近づいた今日この頃、

ベトナムに帰省した越僑の方の姿をよく見かける。

この前も、カフェで隣りになった人は、ベトナム人だけれども英語しか喋っていなかった。

なんか不思議な感じがした。



この「越僑」、もちろんそんな簡単に成せるものではない。

ベトナムでは、一般の人には国外移住は認められていないらしい。

Phoungちゃんの場合は、祖父が元軍事関係者で今回行けるようになったとか。

それでもPhoungちゃん自身は、望んだものではなかった。


「私は行きたくない」


いつもおちゃらけている彼女の何気ない言葉の裏に、事の大きさを感じた。

漫画やアニメをこよなく愛す親日家の彼女はかねてから日本行きを切望していた。

しかし、ベトナム人が海外に住むということは並大抵のことではない。


どこにでも行けるアメリカ国籍のパスポートを持って、いつか日本へ行ってみたい」


海外移住には金銭的なことはもちろんだが、

入国審査やビザの発給など多くのハードルが待ち構えている。

ベトナムに限ったことではない。

日本に生まれた私たちにとって、海外で生活することは

国民に与えられた一つの選択肢になっているが、

実際にはそうでない国がほとんどだ。



友達が言ってた「世界行きチケット」の意味が何となく分かった気がした。

国籍のみならず、「日本人」という“ブランド”は全世界で高い信頼を勝ち得ているのだ。

当たり前だと思っていたことは、外から見てみると当たり前ではない。

こっちに来て初めて聞いた「越僑」とか「華僑」という言葉。

こうした言葉が“日本”という国を見直す視点を与えてくれそうだ。




何はともあれ、友の旅立ちに幸あれ。

いつの日かPhoungちゃんに日本を案内してあげよう。
  






Posted by masaki at 02:44Comments(11)Global

2010年02月02日

初公開


うちの です。



先日の日記にも書きました、姉が出演した「王様のブランチ」の放送です。

試行錯誤の末、You Tubeにアップすることができたようです。

早く見たかったんで、感謝です。

見過ごしたけど、ちょっと気になっていた方もご覧あれ。



どうぞ!

http://www.youtube.com/watch?v=WmZOH9pdx9Q





見ましたか?


どうでしたか?




えー、、僕は、

驚きました。

弟として。


インテリアがすごいのは、当然知ってましたが、

応対がうまい。

さすが、接客を業としているだけある。



あとは、

やっぱり

奇抜だ(笑)




うーん、


見習おう。

そうしよう。  






Posted by masaki at 18:48Comments(6)Private

2010年01月29日

ちょっと見つけたいい話

素敵な話を見つけたんで、


ほっこりした温かい気持ちを


みなさんにもお裾分け。



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トモダチを紹介します。




イマバヤシくんです。


だれって?


イマバヤシくんです。

小学校一年生らしいです。





公園のベンチで空を見上げて寝転がっていたら


ナンパされました(笑)



い「なーなー何してるの?」


ぼく「何もしてへんよー」


い「ひま?」

ぼく「うん、かなりひまやで。」


い「そしたら、ひっつきむしついたからとってくれへん?」


ぼく「ええよーー。」


よく見ると、彼の服にはびっしりとひっつきむしがついていた。

写真よくみて。
ほんまびっしりついてるから(笑)

あの、くっつくとなかなかとれない植物の種ね。


ぼく「あかんやんーめっちゃついてるでーどこでついたん?」


い「ホリエくんの家のちかくに、ひっつきむし地帯があるねん」


ぼく「そこ行ったんやーめっちゃついてるやん。」


い「けどなー見てやーこれ、すごくない?」


と、虫かごをみせてくれた。


その中にはカマキリとバッタが同居していた。


ぼく「すごいー。かっこいいなー。」


い「やろーやろーすごいやろ」


そんな会話をしながらひっつきむしを一緒になってとった。


そういえば、ひっつきむしをとるなんて久しぶり


そんな草が生い茂ったとこに入ることなんて最近ないから


虫かごにはいった虫をみるのも久しぶり


そういえば、ぼくもこんな時代があったなーってしみじみ

お父さんは39歳らしい。

そして門限は6時らしい。

いろいろプライベートなことを教えてくれた(笑)

デジカメをもっていたから海の写真をみせたら


カメにびっくりしてた。






そうこうしていると、イマバヤシ君の友達が近くにきた

イマバヤシくんに僕がだれか聞いてくる。

そしたらイマバヤシくんは、「ともだちやで」と


ボクをそのこたちにふつうに紹介してくれた。


なんかその瞬間、忘れていた何かを思い出した気がした。



そうだ、単純でいいんだ。


難しいことなんていらない


シンプルに、それでいい。





「なーなーボールが木のうえのってとれへんねん、とってくれへん?」

とお願いをされた。


「えーまじでーーーけっこう高いし、これとるの草の中はいらんとあかんやんーーーまぁええけど。」


なんとかボールをとったらサッカーに誘われて少しだけした。


案の定大活躍した(笑)


あーこどもはかわいいなー

このころはまだ、みんな素直なんだろうな。

どうして、成長すると、苦手な人ってできるんだろう。

シンプルにいきたいなって思いました。

すごく学ばせてもらいました。

イマバヤシくん、ありがとう。


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こどもにふれ合うことが多いんで、よくわかります、この話。





けんかしたとき


辛い思いをさせたとき


相手を傷つけちゃったとき




「ごめんね」





「いいよ」



シンプルに、それでいい。




  






Posted by masaki at 21:22Comments(4)いい話

2010年01月23日

あねご

みなさん、「王様のブランチ」知ってますか?


そう、土曜の「午前」と言えばこの番組。

あ、、我が故郷・静岡では、放送枠の関係で、

午前しか放送されてませんでしたので・・。


関東圏ではもちろん、昼過ぎまで放送してますよね。





で、それがどうした??


って話ですが、、





出演します!!









「誰が?」







俺が!




と、言いたいところですが、


残念ながら違います(涙)








うちのです。



全国ネットにうちの姉が登場します。

あはは。



まー知ってる人は知ってると思いますが、

うちの姉、だーいぶインテリアに凝ってまして。

過去には、数あるインテリア誌に名を連ね、

某インテリア誌では「インテリア大賞」的なものまでもらっちゃってます。

最近では某女性ファッション誌『S●up』にも掲載されてました。



だから、インテリア好きの人には過去にお目に触れたことがあるやもしれません。



そんで、今回、、、

王様のブランチにおける「姫様」こと、はしのえみさんのコーナーに

登場することになっちまったんです。。

(余談ですが、静岡人は「こっこ」のCMで馴染みですよね、はしのえみさん。)



肖像権の関係で、はしのえみさんとの写真はここには載せられませんが、

テレビ放送でその模様をチェックしてみてください。





とまぁ、とにかくすげーんですわ、彼女。


何がすごいって、こうやって雑誌とかテレビで取り上げられちゃうとこもそうですけど、

あくまでそれは結果であって、生き様っていうか、

そういうのが評価された結果なんだろうなって思います。

この人ほど生命力を感じる人はいません!笑

弟の俺が、公のブログでここまで言っちゃう時点であり得ないでしょ。




あ、これ言っとかなきゃ・・・


※みなさん、松野はシスコンではありませんよー!!(笑)



でも、こうして尊敬できる姉兄がいるのって幸せなことですよね。

実は、松野には兄もいまして、(ちなみに彼もインテリア凝ってる。)

二人とも、本業も趣味も、我が道を進んでてかっこいいんです!

彼もなんかやらかしたら、載せようと思います。




ってことで、今日は最近の話題と180°反れましたが、

(たまにはこんなのもいいよね?)



明日(日本では、もう今日か・・)土曜の「王様のブランチ」

時間ある人は見てくださーい。

出演時間はおそらく13時以降、5~7分くらいのコーナーらしい。

よって、必然的に、、

静岡人見れませーん。笑

どんまい、静岡。



姉もこのブログ見てるんで、感想とかアドバイス(?)とかあったら

コメントしてあげてください。



では。  






Posted by masaki at 00:36Comments(14)Private

2010年01月21日

カリブの海の子どもたち

mixiコミュニティー『世界の肖像』からの転載です。

この記事がハイチを、世界を、考える手助けになれば幸いです。


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カリブ海に浮かぶ島、イスパニョーラ島。
その島の西にハイチという国がある。

1804年1月1日、
植民地占領をしていたフランス人を追い出し、
世界で始めての黒人による共和国、
そして、ラテン・アメリカ最初の独立国家を樹立した。

そんなハイチの首都ポルトープランスに住む、
ジネッテ(Jeanette)ちゃんという女の子を
イギリスのBBCが記事に取り上げている。


ジネッテちゃんの日課は、
家のための水くみで始まる。

公共の水汲み場で、
青いバケツに水をたっぷり入れて頭に載せ、
毎日4キロを歩く。

ジネッテちゃんは、6歳だ。


ハイチは、
アメリカ大陸とその島々の中で、
最も貧しい国の一つだ。

人口の8割は貧困層で、
人口の半分の人びとが、
毎日を60円以下で暮らしている。

ハイチの人口は、
中南米諸国の人口の2%ほどだが、
中南米で死んでしまう赤ちゃんの
5人に1人は、
ハイチの赤ちゃんだ。


そして、ジネッテちゃんは、
そんな貧しいハイチの中でも、
さらに貧しい家で生まれた。

ある日、お父さんが、ジネッテちゃんに言った。

「お前は、都会に住む
 遠い親戚のところで暮らすんだよ。」


都会のポルトープランスに来たジネッテちゃんは、
それ以来、お金のもらえない使用人…
…もっと言うと、奴隷同然で働かされている。

毎日、水くみに、洗濯、掃除、
その家庭の他の子どもたちの世話…。


ジネッテちゃんは、
友達と遊ぶ時間もなく、
学校で勉強することもない。



このような子どもたちは、
ハイチではレスタベク(restavec)と呼ばれ、
ユニセフなどの調査によると、
その数は25万人ほどにもなるという。

そして、国の経済の悪化に伴い、
その数は、増え続けているという。


レスタベクの問題について、
ハイチ政府の見解は、
貧しい人びとが、
自分の子どもにより良い生活を与えるための、
ハイチの伝統文化だと言い、
貧しくて、子どもを育てられない親たちも、
そう願って子どもを預ける。


だが、残念ながら、その実態は、
世界で最も早く奴隷を駆逐した国に残る、
現代の奴隷制度の構造だ。


ユニセフは、
このハイチの子どもたちへの未来へ希望のために、
世界は、更なる努力をするべきだと言っている。

  






Posted by masaki at 00:21Comments(0)Global

2010年01月20日

無法地帯

ホーチミンは、乾季にしては珍しい雨天が続いている。

昨日、今日とだらだらと雨が降り続き、日本の梅雨みたい。

原因となっている低気圧はもうしばらく停滞するらしい。

早くスッキリとした晴天が戻ってきてはくれないものか。。



そんな久しぶりの雨に“あの場所”を思い浮かべてみる・・・

家屋を失った彼らに雨をしのぐ場所はあるのだろうか。





自然災害という誰にでも起こりえるはずの出来事で、

実際に犠牲になっている人の96%は、

発展途上国の人々だ。





その象徴的な例が、今回のハイチ大地震





ここハイチは、西半球で最も貧しい国と言われている。

国民の80%は劣悪な貧困状態に置かれているそうだ。

そんな最貧国に襲った今回の大惨事。

死者数は10万人、最悪20万人にものぼると言われる。

同国の人口は約1000万人。

要するに、100人に2人、単純に「50人に1人」が亡くなるという計算。


これって驚くべき数字ではないですか!?




ハイチに対して、各国支援に動き出しているが、

肝心の支援物資が一部にしか行き届いていない。

被災者たちはそんな現況に不満を募らせている。


そして、無法と化した被災地で次に起こるは、「生き残り闘争」。


首都ポルトープランスにある世界食糧計画(WFP)の食糧備蓄庫が略奪にあったらしい。

損壊した建物には、人々がたかり、

見つけたものをめぐって、怒号が飛び交い、激しい奪い合いが始まる。




倒壊した刑務所から収容者が脱獄する騒ぎも起きている。

国際赤十字の広報官は、囚人約4000人が逃げ出したと語った。


こうした震災後の混乱に伴う「無法状態」が危惧(きぐ)されている。 


そんな自国を見切り、国外へ脱出を試みる被災者も増えている。




自分には何ができるのか。

北中米カリブ海に浮かぶ小国は、自分とは無関係なのか。

大きく貢献できるだけの資金もない。(もちろん募金など小さな積み重ねが大事)

ましてや、現地に行って支援することなどできない。


もどかしい。。





だから、書く。


自分には、少しでも見てくれる人がいるこのブログで伝えることしかできない。

自分も含め、人は何かがあったときにしか、現実に目を向けない。

自分勝手な生き物だから。

でも、何かがあったときにさえ目を向けなかったら、どうなる?

そんな自己中心的な考えが今の世の中を作ってしまったのかもしれない。



小さな歩みが大きな一歩になることを信じる。



ちょっとでも考えてみよう、

世界のこと。  






Posted by masaki at 21:01Comments(6)Global

2010年01月17日

同じきもち

先日、ベトナムでは希少な邦画DVDを、

ベトナム人の友だちに借りられたので、

今日見ました。




その映画は、







『硫黄島からの手紙』




数年前、「硫黄島」を日米両視点から捉えた二部作として話題になりましたよね。

個人的にはとても素晴らしい映画だと思いました。



私が観て育ったほとんどの戦争映画では、

どちらかが正義で、どちらかが悪だった。

しかし、人生とはそんなものではないし、戦争もそんなものではない。

この2本の映画は勝ち負けを描いたものではなく、

あの戦争が人間にどんな影響を与えたか、

そして戦争がなければもっと長く生きられたであろう人々のことを描いている。



と、イーストウッド監督が言うように、まさしく、戦争とは何か、

人間は何故戦うのか、を考えさせられる作品に仕上がってます。



しかし、ここで言う「人間は何故戦うのか」という観点は、

戦争が始まってからのそれぞれの人の想いであり、

やはり戦争自体が起こらない方向にもっていければ。


今なお世界では、内戦、紛争、テロ、、、

様々な形で、戦争が続いています。

決して過去の話ではありません。

いま、この瞬間も、です。


そして、日本では約60年前、

ここベトナムでは、つい30年前まで主戦場として戦争が繰り広げられていました。

今、僕が住んでいる“まさにこの場所”も戦場であったに違いありません。

恐ろしい数の罪のない人々が犠牲になる、そんな“日常”があったのです。

そう考えると、胸が締めつけられる想いに駆られます。。



戦争がよくないということは、誰もがみな、頭では分かっています。

でも、日々を生きるなかで

戦争を心の底から憎む気持ちをもつことはなかなかありません。


※主演:渡辺謙談



そうなんです、みんな戦争がよくないことは分かってるんです。

それでも起きてしまう現実。

どうしたものか・・・



しかし、戦場で行われていたことを見てしまったら、

自分の息子や恋人を決してそこに向かわせたくないと思うでしょう。



これこそ映画のもつ力ですよね。

映画を作るたびに制作費何億円とか桁外れな数字が並べられますが、

それでも、人々の心に訴えかける力があるから

それをも上回る興行収入を得られる。

お金の数の話は好きではありませんが、

でも、それだけの人が見て、何かしらを感じているということ。

大切にしたい文化です。



ただし、こんなにも影響力が強いからこそ、

気をつけなければならないのが、情報のバランス。

偏った情報は固定観念、ひいては偏見をもたらします。



作中にもこんなシーンがありました。


「アメリカ軍は腰抜けだ」「鬼畜米英」などと唱えていた日本兵小隊の中に

引きずり込まれた一人の若者米兵。

心優しき中佐の計らいで手当てを受けたが、まもなく息を引き取る。

そんな彼の胸から落ちた一片の手紙。

アメリカでの日常の生活が記された、母親からの愛情がつまった手紙だった。

そんなごく普通の生活を、みな自分の故郷や家族と重ねる。


「同じなんだ・・」


アメリカのきもち、日本のきもち、同じきもち---



固執したステレオタイプは「知らない」ことで生みだされるもの。

さらに、戦時下という境遇で無意識に刷り込まれていく情報。

インターネットが普及していないという時代背景があったものの、

情報統制とか外部情報の遮断って本当に怖い。


時は違えど、今起きている戦争においても同様のことが言える。

渦中にある兵士たちの思想は、偏った情報の刷り込みによって

意図的に「相手=悪」の認識を作り出されているのだろう。

片や、自分たちは絶対的に「正しい」。

そうとも思わなければ冷酷な戦場で戦い抜くことは出来ないのかもしれないが。



こうしたことも踏まえて「情報のバランス」という点で、

なおかつ微妙な政治的な問題をクリアし、

「人」という視点で作り出されている点で、

この作品は評価されるように思う。


『硫黄島からの手紙』ホームページ



アメリカから見つめた硫黄島『父親たちの星条旗』

日本に帰ったら観ようと思う。










最近、ふと考えることがある。


全世界が平和になること、それは可能なのだろうか・・。


できることなら成したい願い!

みなさんはどうお考えですか?  






Posted by masaki at 22:33Comments(11)Movie